私たちの生きる社会は、「勝たなければ次へ進めない」場面であふれています。
受験、就職、試合、ゲーム…。
勝つことで得られる学びや喜びは確かにあるけれど、同時に「負け=ダメなこと」と刷り込まれていく。
気づけば、物心つく前から私たちは競争の中に立たされ、
「勝ちは正」「負けは負」
という意識が無意識のうちに染みついていく。
だから、負けたときには
悔しさ、残念さ、恥ずかしさ、悲しさ…
そんな心地のよくない感情に包まれる。
この世界は、ストレスを感じやすい構造の中にあるのだと思います。
でも、もし──
「負けても、うれしいと思える」
そんな世界があったとしたら?
「負けた」ことで誰かの成長が喜べたり、
「負けた」からこそ次の挑戦がワクワクできたり、
「負ける」ことで自分の可能性を見つけられたり。
そんな世界なら、今よりもう少し、呼吸がしやすくなる。
私はそう思うのです。
でも現実には、「勝ち/負け」のような感覚が、子どもたちの心に強く刻まれていくことがあります。
たとえば、テストや順位で評価されるたびに、
「勝てなかった自分」
「周りについていけない自分」
「行けない/行きたくない自分」
=「負けている自分」と感じてしまう子もいます。
そうして「学校に行けない=負け」という構図が心の中にできてしまうと、ただ苦しいだけでなく、「自分はダメだ」という自己否定の渦の中に落ちていきやすくなります。
そんなとき、周りの大人の声かけが、心の世界の方向を大きく変えることがあります。
「どうして行けないの?」
と理由を求める声は、
「行けない自分は負けだ」
と感じさせることもあるけれど、
「今のあなたのペースも、大切にしていいんだよ」
と受けとめる声は、
「負けても終わりじゃない」
「違う道を選ぶことも尊重される」
そんな感覚を少しずつ心に育てていきます。
「負けたのに、なんだか少し安心して涙が止まった」
「行けない日があっても、また少しずつ動き出せそうな気がした」
この“少しの安心”を支えるのは、ただの励ましではなく、「心を育てる声かけ」。
「負けた=次に成長するチャンス」と、自分の経験を“材料”として受け止められる力。
それが、レジリエンス(心のしなやかさ)なのです。
日々の声かけは、子どもの心の中に「負けても価値がある」「またやってみようと思える」世界をそっとつくっていきます。